水沢における競馬の歴史
2022.03.03

水沢における競馬の歴史

水沢では、古くから地域の住民の手によって、駒形神社の祭典に春秋2回の奉納競馬が行われていました。
1901年(明治34年)に、当時の胆沢郡産馬組合が中心となり、水沢公園南側に一周500mの楕円形馬場を新設し、本格的な競馬が始められました。
その後、1908(明治41年)に東宮殿下(大正天皇)が駒形神社に御参拝されたことを記念し、馬場を800m走路に拡張することとし、翌年の拡張工事の完成に合わせ「東競馬場」と名付け、水沢競馬は大いに盛り上がりました。

国が優良馬の育成・生産増強のために地方競馬の振興に力を入れ始めたので、1920年(大正9年)には、県産馬組合連合会の主催で競馬が行われるようになりました。当時の施設では勝馬投票が認められなかったことから、これを許可してもらえるようにと、水沢町が中心となり、1924年(大正13年)に一周1600m、観覧施設の整った競馬場を新設しました。これにより、地方競馬の勝馬投票券の発売が可能となったことから、競馬熱は一層盛り上がりました。

水沢競馬は、1933年(昭和8年)までは駒形神社の祭典日に合わせ開催されていましたが、翌年には祭典とは切り離し、競馬会独自の行事として6月末から3日間、競馬場開設25周年競馬が開催されました。その後も毎年6月に競馬は開催されましたが、日中戦争の影響により、1939年(昭和14年)に中止されました。終戦後の1946年(昭和21年)に地方競馬法が公布されると、競馬場を一周1200mに改修し、翌年、県馬匹組合連合会の主催で水沢競馬を再開しました。また、1952年(昭和27年)には水沢町による公営競馬として開催されました。

その後、1963年(昭和39年)には、岩手県競馬組合が設立されて水沢競馬の開催を引き継ぎ、今日まで開催を続けています。

(参考:「いわての競馬史」)