軽米ゆかりの名馬:勝山号
2021.12.02

軽米ゆかりの名馬:勝山号

軽米町にゆかりのある名馬「勝山号(かつやまごう)」を御紹介します。

勝山号は昭和8年に「第三ランタンタン」の名で軽米町大字上舘字鶴飼(つるがい)に産まれた馬で、軽米の競りにより江刺郡岩谷堂町(現奥州市江刺岩谷堂)の馬喰に落札され、同町の伊藤新三郎氏が購入し農耕馬として3年間飼育されていました。

昭和12年、陸軍に軍馬として徴発され、名を勝山号と改めます。間もなく中国大陸に渡ると、上海、徐州、廬山などの激戦地を転戦し、各地で部隊長の乗馬として多くの将軍に仕えました。
部隊長の多くが戦死する過酷な戦況下において、自身も砲弾片や銃弾により3度の重傷を負いながらも奇跡的な復活を果たし、戦場に舞い戻った功績が認められ、昭和14年には勝山号には軍馬として最高の栄誉である「甲功章」が授けられました。

当時は兵士ですら日本への帰還は困難であり、馬の帰還は不可能でしたが、勝山号はその功績が讃えられ、昭和15年に一頭だけ日本に凱旋し、昭和20年に国内で終戦を迎えました。
軍用馬として徴用された馬は100万頭を越すと言われていますが、故郷に生還した馬は他に例がないと言われています。
終戦後、軍関係者の支援を受け岩谷堂町の伊藤氏の下に戻ることができた勝山号は再び農耕馬として余生を暮らしますが、戦場で受けた傷による神経障害に苦しみ、昭和22年に息絶えました。

軽米町では昭和54年に生家裏手にある久慈平神社に記念碑を建立しました。さらに、平成7年には勝山号は伊藤家裏山にある墓から分骨され、記念碑裏に葬られました。

■名馬勝山号誕生の地(久慈平神社内)
住所:九戸郡軽米町上舘第46地割19